「生きやすさ」って何だろう その3

  • 2016.11.18 Friday
  • 19:53

 

 

「生きやすさ」って何だろう その1

「生きやすさ」って何だろう その2

 

のつづき。

 

森川さんの本の後半でフィンドランド発祥の「オープンダイアローグ」の話がでる。

 

名前は聞いたことあったけど、よくは知らなかった。

 

フィンランドのトルニオで生まれた回復援助法らしい。

 

「ひととひとの関係の中で病は発症する」という説から基づきおこなわれている。

精神的な病をもつ人の8割近くが抗精神病薬なしで回復するということで

日本でも注目はされているよう。

 

簡単に言うと、精神医学に関する専門家などチームになって

病を発症した人のところへ行って、

数回にわたって対話するというもの。

 

それに関する本を読んでいないので

もう少し知りたい方は本を読んでみてください。

 

これは日本でも有効なのかどうかはよくわからない。

 

しかし、対話がなくなるとたとえSNSでつながっていても、

生の言葉でのやりとりがないのは

その人の生きる力を縮ませてしまうような気がする。

 

高齢者が孤立化して、人と会わなくなると

孤独死してしまうようなものと近いかもしれない。

 

 

ただ、社会や他者が関わってくれないからこうなるというのではない。

やはり自分の関わり方も必要になってくる。

 

 

私も対話慣れしているわけではなく、

行くことないけど、パーティーとか苦手かな(笑)

そんなイベントごとに出なくても、

まわりで関わる人間にどう関わるのかということを

自分の中で意識を変えていくことができれば

もう少し、人と関われると思う。

 

過去の経験と照らし合わせて、心配したり、

行動できないということもあると思う。

 

 

生きにくさを感じているというのは

他者の目を気にしているということもある。

 

もし生きにくさを感じているとしたら

なぜ、そう感じているのかじっくり考えるといいと思う。

 

苦手な人がいるからとか人と話すのが疲れるからというようなこともあるだろう。

だとしたら、さらにそれについて考えてみる。

 

なぜ、苦手なのか、なぜ、疲れるのか。

 

相手やまわりはたぶん変わらない。

じゃあ、どうしたら疲れなくなるのか、楽な気分になるのか。

 

こうした細かなことを考えることができないのなら

専門家の力を借りてもいい。

 

フラワーレメディーのセッションでも

それを整理していくのに助けになる。

 

 

こういう考えもできるかもしれない。

「生きにくさ」を感じているというのは

成長のチャンスかもしれないと。

 

そうした経験が自分の人生の方向性をしめすかもしれないし、

同じように感じている人に何かを伝えることもできるかもしれない。

 

オープンダイアローグのようにたくさんの専門家と対話することは

今はできないが、自分との対話ならすぐにおこなえるし、

誰かに (セラピストやプラクティショナー) 話を聞いてもらうことはできる。

その際はなるべく安全な場を作ってくれる人のところがいい。

 

オープンダイアローグのやり方は知らないけど、

対話そのものは無意識では何か糸口のようなものがあり、

それを引き出す役目があるような気がする。

 

人とあれこれ話しているだけで、いろいろアイデアが浮かんだり、

わかったりすることがあるのと同じ。

 

 

だから、「生きにくさ」から脱出したいのなら

殻にとじ込まらずに(閉じ込まりたいときもあるだろうからそれはそれでいいけど)

誰かと話してみる (最初は同じ悩みを抱える友人とか信頼できる人に)

ことから始めてみるのもいいと思う。

 

 

 

来月、東京でフラワーレメディーのお話会をします。

12/10 (土)「エドワード・バックとイギリスの植物」

 

花と植物の学びと癒し 

フラワーレメディーのセッションもしています♪
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「生きやすさ」って何だろう その2

  • 2016.11.16 Wednesday
  • 11:12

 

「生きやすさ」って何だろう その1 の続き。

 

 

小豆島の宿泊施設にいくつか泊った経験があるが、

あるホテルに泊まったときに

「レンタサイクルがありますか?」と聞いた。

 

するとそこではたぶん責任ある立場のおばちゃんと思われる人が

「うちの自転車ならあるよ」とすぐに用意してくれた。

そこの従業員用の自転車である。

 

「うちはレンタサイクルはやっておりません」ではなく。

もちろん自転車はボロだ(笑)

でもタダだ。

 

こういう対応に近いものが森川さんの本を読んでいると出てくる。

 

相手のニーズを知って、それに対応するという

人間として当たり前な行為だ。

 

ある自殺希少地域の村のバスはゆっくり走る。

それはバス停で止まるだけでなく、お年寄りの大事な足だから、

バス停以外の場所で止まるためなのだ。

 

 

システム化された世界では、

マニュアル以外のものには対応はしない。

柔軟性はなく、そこの会社の方針で従業員用の自転車をお客に貸すなんて

ありえないというところもあるだろう。

 

自殺希少地域の大きな特徴としては

現場によって、話し合いによって

柔軟に対応する姿勢があるところだ。

 

だから、そこに訪れた森川さんは居心地のよさを感じたりする。

スムーズな感じ。

 

 

それはある意味、自然と調和されているのかもしれないと思う。

自然はいつも同じ状態ではない。

植物は環境にあわせて自分の姿や成長を変えていく。

 

自然がないところ、機械のような無機質なものは

いつも一定の動きで違う動きをすることはない。

 

大きなルールに間違うことなく従うのか、

個人の判断で必要な範囲で対応していくのかは

その人の人間力によって変わってくる。

 

それってチャクラで言うとやはりハートチャクラかなーと思う。

 

ハートチャクラが柔軟に相手に働くためには

それまでの1〜3チャクラがしっかりしていなければならない。

個というものが確立されていて、他者という別の個を認め、

成熟した対応ができるのかも。

 

 

生きやすさにつながるには

自殺希少地域のような場所に引っ越すのではなく(笑)

まず、自分の在り方を考えるところからではないかと思う。

 

もちろん非常に生きにくい場所に住んでいるのなら

引っ越すことも可能だ。

2011年の震災以来、移住者はとても多く、

より住みよい場所探しをしている人も多い。

 

だから、ひとつのコミュニティに入っては、あわなくて出たり、入ったりを

繰り返す人も多いのも事実。

もしかしたら必ずここで骨をうずめるぞという気ではなく、

もっと軽い感じで住みたいところに住んでみるというのもありだが、

仕事や家族の問題もあるだろうから簡単にはいかないとは思う。

 

しかし、自分の在り方を変えることだけは出来る。

 

 

今、小豆島への移住をされた作家さんの本を読んでいるのだけど

小豆島には一人で移住される女性が非常に多いとのこと。

ほとんど移住者のいない場所なら二の足を踏みそうだが、

同じような人がたくさんいる場所なら特別感は薄れる。

島のようなところが外部の人間がたくさん入ってくることで

活性化し、変わっていくことはすごくいいなと思っている。

 

それだけでなく、日本には海外からやってくる人も随分増えている。

多くは旅行者であろうが、住む人だっている。

いつの間にかまわりの状況は変わっていく。

 

だから、希望をもって自分はどうありたいのか、

自分はどう生きたいのかという「個」の部分を育てつつ、

人と関わっていく勇気をもっていく必要があるのかも。

 

 

ここ最近のアドラー心理学ブームはそんなことも反映しているかも。

アドラーでは関係性を重視していて

人との関わり方を身につけながら、

社会の中で生きていくことを助ける。

 

社会のおおもとのコミュニティは家族なので、

家族の中での関係性をどのように作っていくのか

ということは大きい。

 

森川さんの本の中で伊豆の神津島では母子家庭が多く、

とても子供が育てやすいという。

島全体で子供は大事にされ、誰かが面倒をみてくれるらしい。

 

どこかの先住部族の子育てのよう。

 

母ひとり、子ひとりの世界だと

母親が子供にとって社会になるから、

その価値観しか知らないことになる。

居心地がいいかどうかも母親にかかってくる。

 

いろんな人が関わると

やはり多様な関わり方を学ぶことができる。

 

生身の人間との関わりの度合いで

柔軟さは鍛えられるように思う。

 

 

木星が天秤座に入っている今、人との関わり方が注目されていくことは

かなりある。

 

 

在り方を変えていくということについて

もう少し書いてみます。

 

ということでつづく(笑)

 

 

 

来月、東京でフラワーレメディーのお話会をします。

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「生きやすさ」って何だろう その1

  • 2016.11.15 Tuesday
  • 17:05

 

フラワーレメディーを使いたいと思う人には

社会で生きていくときに「生きづらさ」を感じている人も少なくないと思う。

 

日本はとくに自殺大国で、社会の中で追い込まれるような感じがしたり、

浮いた感じがしたり、疎外感を感じたり、孤立してしまったりということも

多いかもしれない。

 

私はずっと生まれも育ちも四国の地方都市に住んでいて

田舎には田舎ならではのコミュニティでの居心地の悪さというものがある

ことは知っている。

しかし、それがどこでもそうかというとそうでない場合もある。

 

そのことをとても感じさせてくれたのが

森川すいめいさんが書かれた「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」という本だ。

 

この方は精神科医で、日本での「自殺希少地域」の研究に出会い、

非常に興味をもち、その地域に実際に足を運び、フィールドワークをした。

 

これは私も面白いと思った。

 

たとえば自殺率の高い東北でもこの自殺希少地域の村が存在するわけで、

それらの各地の地域の人々の特徴みたいなもの、共通するものなど

見ていくと「生きやすさ」につながるような気もする。

 

四国でも徳島の旧海部町に著者が訪れている。

どうしてこのような特定地域の町にそんな特徴が出るのかはわからない。

 

しかし、私には思い当たるようなところがあった。

 

香川県で庵治町という庵治半島のあたりの地域がある。

「世界の中心で愛を叫ぶ」のロケ地でも知られ、

庵治石の産地としても知られ、

UFOをよくみるという場所でも知られ(笑)

芸術家が多いという場所でもある。

 

学生のときにバイトに行った先が庵治に少し近い場所で

そこのバイト先にきているおばちゃんはほぼ庵治の人だった。

 

すごく独特な個性のある方ばかりだった。

 

そのあと、うちの兄が香川県の東部の高校出身だったので

話をしていたら、「庵治からきている人は変わった人が多い」という話になり、

独特な個性があることは共通認識をもった。

その後に出会った庵治に住んでいる方は芸術家の方が多いので、

個性があって当たり前なのだが、やはり独特だった。

 

 

みなさんが住んでいる県でもそんな場所ってないでしょうか。

 

なぜ、その場所に住む人が他の地域と違ってくるのかはよくわからない。

もしかしたら庵治町に住んでると少々自分が変わっていても

居やすくて、楽だったりするのかもしれない。

 

100%くらいよく似た価値観の人が揃うというのは実際は難しく、

かなり異質な価値観の人が20%くらいできるのが

地域に住む総人口から考えるとバランスがとれて普通かもしれない。

そしてその2割がたまたま集まって住むような場所になるのかもしれない。

あるいは親戚・親族がその土地をしめるようになるため、

血液型の偏りがそこに出てくるというのもあるし、気質がよく似た人が集まることもある。

 

血液型でいうと日本人はA型が一番多いが、

独特な個性があり、自殺希少地域のようなところに住む人々は

B型とかAB型とかが多いとか。

(そういうデータはあるのかな)

 

で、自殺希少地域での人々の特徴をあげてみると

  • 困っている人がいたらできることはする。できないことは別の人に相談する

    解決するまでつきあう。

  • 多様性を受け入れているから、ありのままでいられる。

  • 対話することに慣れている。

  • みな顔見知りだが、緊密ではない。

  • 人の話にすぐ同意することなく、自分がどうしたいのかを主体に動いている。

 

というような感じである。

 

人が結局、孤立することなく、

変わった(変わった職業とかでも)人でもふつうに接してもらえて、

必要なことがあれば協力してくれるという地域らしい。

 

住んでみないとわからないことだが、

居心地がいいかどうかは人によるとは思う。

 

自分の意見をあまりもたない人は住みにくいと感じるかもしれない。

群れるほうが好きという人とか。

 

 

多様性というのは、著者の森川さんがベジタリアンで

田舎の宿泊所でベジタリアンのメニューをお願いすると

嫌な顔をされることが多いという。

確かに海が近ければ、海の幸、山であれば山の幸がメイン料理になる。

というか売りであることもある。

それが自殺希少地域では普通に対応してくれたという。

そういう違う食事をする人もいることを受け入れてくれているのだ。

 

海外では普通にベジタリアンとかヒンズー教徒とかイスラム教徒とか

いるので対応してくれそうだけど、日本は実は難しいところもあるようだ。

 

私のやっているフラワーレメディーもそれを仕事にしていますとか

一般的にはなかなか人には言えない(笑)

でも、この本の後半に北欧の話がよく出てきていたけど、

何をやっている人なのかではなく、

「あなたは誰なのか」を問われるという。

 

どんなことを考えていて、どうしたいと思っているのか。

 

これは人によっては厳しいと感じる人もいるだろう。

日本人はとくにアメリカのような場所に行くと

自己主張をこれまでしてこなかったとしたら、

対話力が断然低いので、慣れない感じを受けるのと同じように。

 

個がしっかりしている人の多い土地では「個」が鍛えられる。

 

そういうものかもしれない。

 

長くなっちゃうのでひとまずここで区切って

続きます。

 

 

 

 

来月、東京でフラワーレメディーのお話会をします。

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古典と創造、進化の道

  • 2016.10.08 Saturday
  • 17:33

 

やけに堅いタイトルになっちゃったけど

この世の中には二つのものをどのようにバランスしていくかということが

とても大事な気がする。

 

今更だけど、

松村潔さんの「完全マスター 西洋占星術」を購入した。

 

私はこれのもとになっている今や絶版の「占星術のシクミがわかる本」と「占星術研究会」を

持っているので、いいかなと思ってたけど

オンライン講座 (MP3)をいくつか聞いて、面白い!!と思ったものの

全部聞くとすぐに5,000円くらい超えてしまうため、

いっそのことこの本買ったほうがいいかもと購入。

 

でも、すでに発売されて10年くらいたっているといっても

かなりアップデートされているものが今も古くは感じず、

進行法やトランジットなどのカバーもかなりできていたので

この本一冊あれば確かにかなりよい感じ。

初心者には少し難しいかもしれないけど。

 

 

占星術の本は古くなれば古いほど、今となっては解釈が古いかなというものが多く

ルル・ラブア先生の本もよいのはよいけど 、もはや解釈は古く感じる。

 

私が学んでいるリズ・グリーンの心理占星学は神話の象徴やアーキタイプから

ひもといていて、ユング心理学との組み合わせの内容でもあり、

占星学としては心理的な見方をしていて、

普遍的な象徴への理解が必要になってくる。

また、キロンを扱っていることもここでは重要。

ただ、彼女の本や学びの理解というのは左脳的に理解していくというよりも

右脳的な理解がとても必要で、ある意味違うところを使わされる。

(実際、占星学は読んでいくときは、右脳よりな世界かなとも思う)

そんなわけで、それを使って現実的な流れを読むというよりも

少々抽象的な感じになりがちだったりする。

それが私はまあ、好きではあるので学んでいるけど

そうじゃない人もいるかも。

 

 

一方、松村さんの本では神話の話はほとんどなく、

かといって、結婚やお金、仕事について現実的なことも

もっと内的な魂の段階や成長ということも実は含まれている。

 

これはどちらがよい悪いではない。

 

ただ、理解されるのが難しいけど、載せたという箇所があり、

そこが一番大事かと思う。

 

それは

実際、現実的な結婚や仕事、自己実現といった方向性である「進化の流れ」

もっと大きな宇宙の流れの中で受けていく影響である「創造の光線の下降」

二つがバランスされなくてはならないという見方だ。

 

ちょっと長いけど引用

個人の感覚的な願望と、精神ないし魂のようなものの願望は、自然なままでは合致しません。むしろこの二つは分裂していて、一つを生かすともう一つを殺すことになることが多いのです。というのも、より大きな宇宙と小さく個人的な宇宙との接点は、ねじれたパイプのような歪みを持っていて、大望を選ぶと個人性が犠牲にされ、個人性を重視すると大望が見失われるという傾向があるのです。生きるために大きな努力と工夫が必要なのは、この大と小のコスモスの間に、通常では埋めることのできない歪みが存在しているということから来ています。しかし、この二つの流れを両立させることができたら、本当の意味で新しい個人の「自己意識」の中心点が生まれてきます。

『完全マスター 西洋占星術』松村潔 説話社

 

いわゆるスピリチュアルな本では

宇宙の意志にそって生きることのほうを大きく扱っているようなところがあるけれど

それは決して、個人を犠牲にすべきというものではない。

ここはとても納得した。

 

占星術の見方、解釈はほんと人によって様々であり、

時代によっても大きく変化している。

変化するのは、この地球そのものも激しく変化しているので当たり前のこと。

人類も進化しているし。

 

しかし、ここで古典的なものや古いもの、伝統的なものは必要ないのか?

と言われればそんなこともない。

古典は一生残り続けるものでなければならない。

 

そのことを思うとき、いつも

フラワーレメディーをアメリカで広めたFESのことを思う。

FESのリチャード・キャッツはこれまでフラワーレメディーというと

バッチフラワーしかなかったときに

初めて、バッチレメディーの花以外からエッセンスを作り、

それだけでなく、独自な考えをもとにフラワーレメディーをとらえることをした。

 

当時、フラワーエッセンス関連、主にバッチ関係の方々からバッシングをかなり受けたという

話を聞いた。

 

ノラ・ウィークスはエドワード・バック医師からレメディーについて継承された一人だが、

彼女は何一つ、そのシステムに手を加えず、同じ弟子仲間と

レメディーの植物についてのデータとレメディーの製法の本を出版した。

新しいレメディーを作るということはしなかった。

 

この現代にエドワード・バックが生きていたとしたら

という話はところどころで聞くことがある。

もちろん作られるレメディーの花は変化したかもしれないし、

作り方も変わったかもしれない。

むしろ、変わらないほうがおかしいかも。

 

古典や大元になるもののエッセンス (本質的なもの) はそのまま受け継がれなければいけないけど、

やり方や解釈は常に変化していくべきでもある。

 

どんなときも大切なのは方法論そのものではなく、本質の部分だと思う。

 

その時代にあったやり方、偏らないよう調和された状態であることがいつも求められる。

 

フラワーレメディーについてはこの先、新しい段階にきていると

私は思うけど、まだそれは松村さんの言うねじれたパイプのような歪みの状態にあるかなと

感じたりしている。

 

 

 

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ひとつひとつ、自然との関係を結んでいく

  • 2016.09.29 Thursday
  • 12:37

 

2012年の3月に私が長く関わるスクールでの

フラワーメディスンという研修を受けてから自然とどのように向き合っていき、

どんな風に関係を結んでいくのかということについて考え続けてきた。

 

フラワーメディスンの研修はその後3回シリーズを受け、

現在、シャーマニズムとセレモニーの研修の4回シリーズの3回目が終わったところ。

4年半もの間かけてようやくというか

生きた存在としての自然に物質面だけではない、

エネルギーとしてのつながりを感じ始めているようなところ。

 

それはボトルに入っているエッセンスだけをエネルギーとして扱うのではなく、

すべての自然に対してということだ。

 

田舎に住んでいる人は自然が当たり前にあって

人間のほうが優勢として接していることが普通だ。

今回の研修中に蜂が2度ほど、食堂にまぎれこんでいたけれど、

そこの人たちは思いっきりバシッとたたいたり、足でがっつり踏んでつぶしたり

しているのを見て、田舎の人なら当たり前のこの行為に驚いた。

 

人間にとってジャマと思う自然は排除する

 

そういうものだと思っている人も少なくない。

 

私の師である由衣さんは

 

木で作られているものは生きているということや

羽はときどき触ってあげることで生きかえるということを教えてくれた。

 

 

私のセッションルームには木の枝とか石とか枯れた花とかいろいろあるのだけど

昔、風水の本で「枯れた植物を置くのはよくない」というのを読んで

よくないんだーと思っていた。

 

しかし、しおれた葉っぱや花はそうかもしれないけど

枝や綺麗に乾燥した植物、動物、昆虫の一部、鳥の羽といったものは

いのちはないけど、エネルギーは生きているのだ。

 

それはそれらに対して、あつかう人間がどう思っているのかが大きい。

 

 

ウバユリに思いをよせる人間が度々訪れることにより、

そこの敷地のウバユリが以前よりも増えていることは偶然と考えるだろう。

しかし、師は「偶然ではない」という。

 

今回、着いた日に今まで見てなかったいくつかのカマキリがお出迎えをしてくれた。

久しぶりにカマキリを見たなーと思った。

 

研修が終わって香川に帰り、翌週ジムに久々自転車で向かう途中で

アスファルトの道の真ん中にちょうど大きなカマキリが横断していて

あやうく轢きそうになった。

こんなところで道の真ん中で遭遇することはほぼないので

急にカマキリ先生とのつながりを感じた。

 

 

現代人の多くはそんなことはすべて単なる偶然と思い、

背後にあるものの力を信じようとはしない。

 

論理的にわりきって理解しようとする場合、

これは偶然ではないという風には思えない。

 

一年前くらい、私はずっと鳥の羽を拾うということはほとんどなかった。

ところがこの一年で行く先、行く先でどこでも羽を受け取ることが多くなった。

 

それも意識しているからだろうとも思う。

気づいているか気づいていないかだけと。

 

そうであったとしても

気づいて自然界に対して、受け取り方を変えることで

どんな風に自然界を通した手助けをすることができるのか実践してみたい。

 

研修のときに折り折りの会話の中で師が話すことが

後から、随分染み込み、役立つことが多い。

そのくらいいろんな思い込みがあるんだなと思う。

 

 

自分のフィルターを通して、常に自然をみている。

それはフラワーエッセンスも同じこと。

自然との関わりを深めていくことは、フラワーエッセンスへの扱いも変化していく。

 

 

それは自然との経験の中から自分に都合のいいように解釈することではない。

ただ、受け取り、ただお返ししていく。

 

フラワーレメディーを作ることにしても

作ったレメディーの一部を自分のためにいただき、

残りを大地にお返しすることはフラワーメディスンでも教えていただき、

何かをいただくときにも手持ちのエッセンスを活性化して

大地にまくということもやるようになった。

 

 

本当の意味で自然との関係を育むというのは

花に癒されるばかりではなく、

日々、自然からのメッセージに気づくことであり、

それを実行することでもあり、

神聖なものとして扱うことでもあると思う。

 

そして同じ自然の一部である自分にも

同じことができることであろう。

 

自分について気づき、自分のために行動し

神聖なものとして扱うことも自然との関係を深めることにもなる。

 

花、フラワーエッセンスはそれをサポートしてくれるものなのだ。

 

 

 

森への信仰とシンデレラ

  • 2016.07.28 Thursday
  • 11:25

 

私の最近の深い関心ごとは古代のヨーロッパの自然信仰。

その自然信仰が中世を経て、キリスト教へと移り変わったあたり。

 

それを非常に刺激させるような本に出会いました。

たまたま寄った古本売り場にて、

「世界の歴史」というシリーズの冊子が一冊100円で売られていて、

興味があるものをいくつか購入。

その中の「森に生きる」という冊子が素晴らしかったのです。

文章のほとんどを中世ヨーロッパを研究されていた阿部謹也先生が書かれているのですが、

とても深い内容で、勉強になりました。

 

 

まさに私が知りたかったこと。

ヨーロッパでの森の移り変わり、森という異界と人間界がのちに融合されていく姿など。

(「もののけ姫」の世界ですね)

 

実は「もののけ姫」を作られた後の宮崎駿さんのインタビュー記事「森と人間」を

愛読のように何度も読んでいて、森と人間ということについてよく考えていました。

 

パリのノートルダム大聖堂。

忘れてたけど、もっと正面の角度からみるとステンドグラスからの光とともに

柱が森の樹木のように立ち並んでいる構造でした。

そういうところがわかる写真を撮ればよかったのですが・・。

これも樹木信仰のなごりともいえるそうです。

 

 

この冊子の中でグリム童話について書かれてありました。

 

グリム童話といえば、ユング派でもよく取り上げられて、

内面世界を知る手ががりにもなっています。

 

ただ、私は子供の頃からどうもグリム童話はそんなに好きになれず、

アンデルセンは好きだったけど、大人になってからはあまり読んでいませんでした。

 

ところが阿部先生の解説で、急に興味がわいてきました(笑)

 

古代では森というのは異界というか、人間界とは違う

畏れ多い神の世界というか、様々な象徴でもあり、

信仰の対象でもありました。

 

人は自分の力だけで何かを達成することはできないと

昔の人は考えていて、

個人の努力ではとうていたどりつけない運命に支配されている状態だと

思っていました。

身分とか環境とかそうですね。

だからこそ、自分の力以外のもの、小宇宙をこえた大宇宙というべき

自然界の力にゆだねるしかなかったのです。

農業をしている人々はとくにね。

 

グリム童話に出てくる登場人物は何かに困っていることが多いけど、

それを自分の力だけでなんとかするというよりも

導かれるものや大いなる力によって達成できるような話が多いのです。

 

シンデレラの元にもなる「灰かぶり姫」

には魔法使いが登場しないって知ってましたか?

 

読んでみて驚きました。

 

シンデレラの話の中にお父さんってほぼ出てこなかったけど、

ちゃんといるんですね。

お母さんが亡くなって、お父さんは再婚し、二人の娘がいるまま母が

やってきて、彼女はいじめられるわけです。

それをお父さんはとめたりしないんですね。

ある日父親が旅に出るというのでお土産は何がいいか娘たちに聞くと

シンデレラは帰り道で最初に帽子にあたった木の枝を頼みます。

 

それがハシバミの木でした。

 

ハシバミというのはヘーゼルナッツのことで、

ヘーゼルナッツを原料としてヌテラというスプレッドは日本でも知られているかと

思いますが、フランスへ行ったときにヌテラの大瓶の見かけ度合の頻繁さといったら、

どんだけヌテラが好きなのかと思わせますが、ヘーゼルナッツ、ハシバミの木も

かなりよくある木なのでしょうね。

 

シンデレラはハシバミの枝を母親のお墓にさします。

そしてそれは成長して、大きな木になります。

彼女は毎日泣きながら、その木に祈るのでした。

 

彼女にとって必要なもの、ほしいものは

そのハシバミの木にやってくる小鳥たちによってもたらされるのです。

舞踏会用のドレスも金の靴も。

 

舞踏会も実は3回も行くんですね。

で、3回目に王子が逃すものかと思って

階段にべたつくようにぬらしておいたのですね。

彼女は目にもとまらぬ早さで飛ぶように逃げるようですから(笑)

それが彼女の靴をおきざりにすることになります。

 

いじわるな姉たちはその小さな靴をなんとかはこうと

爪先を切ったり、かかとを切ったりするそうです。

(そういうところがグリムは恐いと言われるところでしょうが)

でもハシバミの木にいるハトたちがそれを指摘して

王子は違うことを知ります。(早く気づけよって感じもするけど・・)

 

そうしてシンデレラはお妃になったのです。

 

よくシンデレラは何も努力をせずに泣いてばかりで

棚ぼたな幸せをもらう話のように言われてきましたが、

この話はどうにもならない自分の運命を

大自然にゆだねて生きる姿でもあったようです。

それはかつてのヨーロッパの人々の生き方だったのです。

 

グリム童話の大部分はこの話のように、小宇宙のなかで苦しんでいる人間が

大宇宙の力と折り合いをつけ、成功していく話なのである。

そして、その大宇宙の力とは、多くの場合、森の樹木や森の中に棲んでいる鳥や動物である。

グリム童話に示されているような昔話は、以上のような中世の人々の願望が、

森を媒介にして満たされてゆく話としてよむこともできるのである。

「週刊朝日百科 世界の歴史4 紀元前の世界1 生活 森に生きる」阿部謹也

 

シンデレラの中で亡くなった母親のところにハシバミの木を植えたように

自然界とつながる母なる力を象徴しているようでもありますね。

 

そうした森への信仰というものがグリム童話に反映しているのなら、

物語の多くに森や泉が出てくるのもうなづけます。

 

そういう目線でじっくり読んでみたいなと思いました。

 

 

 

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バッチフラワーレメディー 解説と製法

  • 2016.07.26 Tuesday
  • 18:27

 

私がフラワーレメディーを学び始めた頃、

持っていた本(日本で発売されていた本)

はジュリアン・バーナードさんの「バッチ博士の花の治療薬」という本と

メヒトヒルト・シェファーの「バッチの花療法 その理論と実際」しかなく、

まだ花の写真のカードはあったかもしれないけど、出回っていなかったように思います。

 

すでに発売されていた2冊の本にはジュリアンさんの本は文字のみで、

理論と実際のほうは簡単に植物のイラストがあるのみでした。

 

私はどうしても花の写真が見たくて、

洋書でノラ・ウィークスとビクター・ブレンの本を見つけて取り寄せました。

 

それが

「THE BACH FLOWER REMEDIS ILLUSTRATIONS AND PREPARATIONS」

という本。

 

出版されたのは1964年で、そのときの本は絶版ではないかと思います。

私が手にしているのはそれのペーパーバック版です。

 

その後、もう少し綺麗な写真の表紙になって再版されています。

 

この本を最初取り寄せたとき、ようやく写真を見ることができると思ったのですが、

なんだかよくわからないものも多々あります(^^;)

ミムルス、ちょっとわかりにくね?みたいな写真だったり、

スクレランサス、どれが花??みたいな。

 

まあ、それでもイラストよりも多少伝わるものがありました。

 

この写真は今でもカードの写真になっているものもありますが、

ウィークスかブレンが撮った写真なのでしょうか?

 

イギリスのバッチセンターで見たあのカメラでかしら? とか思ったり。

 

あと、この本を取り寄せた当時、この本の内容がそれぞれの植物の花の開花時期と

葉っぱとか花とか植物の特徴とエッセンスの作り方のみで、

エッセンスの意味とかはほんの一行くらいしかなかったのも驚きました。

 

今を思えば、この本は誰でも手元に置いて、

自分でエッセンスを作るために二人が残されたものだったのです。

 

太陽法と煮沸法のふたつのメソッド別にわけて、

それぞれの花の開花時期の順番に紹介されているのも丁寧です。

 

しかし、この本は一度再版できない時期がありました。

同じころ、バックが書いた「12ヒーラーズとその他のレメディー」から

彼が書いたエッセンスの製法についての部分が削除されるということもありました。

それはなんとノラ・ウィークスが亡くなった次の年のことです。

 

彼女が書き残したものを再版しないようにしむけられたというのは

なんということでしょう。

ビクターのほうが先に亡くなっていたので、著者である二人がいなくなった後のこと

だったのです。

 

晩年のノラ・ウィークス(右)とビクター・ブレン(左)

 

 

エッセンスは売られたボトルだけではなく、

身近にある花を使って自分のために作ることもできるということを

エドワード・バックは書き残しています。

というよりも基本、自分で作れるのなら作りなさいと。

 

本来の基本的なレメディーに対しての考えを、

学ぶ側はいつも忘れないようにしたいものです。

 

私は日本でも作ることが可能な花を紹介する

ウィークスとブレンが残した本のようなものがあると

いいなあと思ったりもしています。

日本の花のレパートリーですが、花の時期や地域ごとのね。

 

ただ、実際イギリスは夏でも涼しくて、花が咲き乱れているので、

日本に比べるとかなりエッセンスが作りやすいなあと思います。

人もあんまりいなさそうだし。

それはほんとうらやましい〜。

 

 

 

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ホワイトイーグル「天使と妖精」

  • 2016.05.27 Friday
  • 18:16
シルバーバーチとかホワイトイーグルとかまったく読んだことがなかったのですが、
ふと読んでみようかといくつか出ている本をみていたら、
この本が目にはいったので、取り寄せて読みました。


イギリスのグレース・クックという人がホワイトブラザーフッドのメンバーであり、
アメリカ先住部族のホワイトイーグルという霊的存在とコンタクトをとり、
その存在から受け取ったメッセージがいくつも文書化されているようです。

私が買った本では白色同胞団って訳でしたが・・。
ホワイトブラザーフッドのことですね。

この「天使と妖精」という本はジェフリー・ホドソンのように元素霊のことが
いろいろ書いてあるのかなあと思っていました。

確かに元素霊・エレメンタルのことをいろいろ書いてあるし、天使のこともいろいろ書いてあって、
すぐに読めました。

後半はちょっと宗教色が強い感じはしましたが、語りかけがやさしく、すっと入ってくる感じです。

天使について、天使の役割、人間との関係などけっこう面白かったです。

ロゴスからほとばしり出た神性の火花である人間の霊は、
さまざまな意識の界を通過して降下をしていき、遂には究極の物質界に到達します。
ここで霊は自己の周りに肉体を、すなわち外衣、神殿を創ります。
これを私どもは魂と呼びます。


といった感じの文章です。

ここで降りて来た魂は自我を宿し、個性をつくり、魂を成長させていくわけですが、
進化の過程で神からそそがれる光を吸収しはじめ、上昇していこうとするのです。

これはホドソンの本にもあったか、同じことをwebクラスでも聞いて、

そういえばエドワード・バックの作ったレメディーにもそのような生まれもった個性と
成長し、進化していくことを助ける花がわかれていることも関係しそうです。


あと、4つの元素のイニシエーションを妖精物語で説明されていて、
それがなんともイギリスらしい感じで興味深かったです。

光の天使と闇の天使のお話や病気治療と天使のこととか
あらためてこのような文章化されたものを読むことがあまりなかったので
こころが潤うような感じがしました。

他の本も読んでみようかなと思っています。


 

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エドワード・バックの生き方について思うこと

  • 2016.05.19 Thursday
  • 12:25


エドワード・バック (バッチ) 医師の生き方について、あらためて客観的にみると
普通の職業人ではないことがわかります。


彼の生き方は医師としての仕事をしていたときは、腸内細菌の研究をしていたので
研究者としての姿があり、その後フラワーレメディーに取り組むのも
研究者の流れが入っていますが、
だんだんと神のような仕事になっていきます。

それは布教活動をおこなっていたイエス・キリストやマザー・テレサとは
あまり変わりがないというか。

けっして、ビジネスマンとしての姿はありませんでした。

なんといっても患者さんからお金を請求することなく診察をおこない、
冊子を作っても、印刷代だけのお金をもらうはずが、結局タダであげてしまったりして
ほぼボランティア状態。

腸内細菌の研究をしているときでも、収入のほとんどは研究費と助手の給料にあてて、
自分はわずかしか持っていなかったと言われています。


この方は過去、結婚もされて、女のお子さんもいらっしゃり、
離婚されたようですが、自分の生活費もそうままならないのに
養育費とかは出せたのでしょうか。

また、数人いたというお弟子さんたちはどうやって食べていたのでしょうか。

ノラ・ウィークスの本によると
常にポケットにはお金があまりないような状態だったけど、
必要なお金は自然と入ってくるようになっていたようです。
治療費は求めなかったけど、多くの人たちを奇跡的に治したこともあり、
治療費は患者のほうから出されるような感じだった様子。

研究費も援助する人もいたり、最後の2年半はソットウェル村で過ごしましたが、
そのときに弟子が所有する家を寄贈され、仕事場にすることができたり。


そうすると彼の生き方というのは
聖職者のようでもあり、救済者・ヒーラーとしての姿もあり、
また、シャーマンのような生き方でもあったかなと思うのです。

アメリカの先住部族のシャーマンは病をいやすのは
シャーマン自身の力ではないことを知っています。
常に、自然界とつながる大いなる力によるものです。
ですから、対価としてのお金を受け取ることはせず、
その大いなる力のために出されるもの(タバコなど患者にとって神聖なもの、価値のあるもの)
を受け取ります。

それは患者の中にも存在する神聖なものに対して払われるものであり、
それを引き出す仕事をするシャーマンと背後の力に対して払われるものにもなります。

バックの仕事は実際に多くの病気の人を花のレメディーで回復させたので、
本当にシャーマンのような仕事だったと思います。


フラワーエッセンスを使った仕事をしている人はさまざまな人がいますので、
すべての人がバック医師の生き方に賛同していたり、
本を読んでいるわけではなかったりするでしょう。
スピリチュアルに興味がありおこなっている人もいれば、
植物療法という入り口からおこなっている人もいるでしよう。

それでも多くのプラクティショナーはエドワード・バックの書かれたものを読み、
その生き方にも触れ、とくに深く影響を受けている人は
もはや、フラワーエッセンスそのものをビジネスにすることに
抵抗があるのではないかと思います。
(意識的にはそう思わなくても、無意識にでも)

ビジネスという言葉で書くと、なんだかあれですが、
生きていくための仕事ですから、必要なことなのですが。

しかし、そこで複雑にギャップを感じる人もいるかもしれません。


エドワード・バックとその弟子たちは営利目的で、仕事をしていたようではなかったので、
非営利組織ということになります。

しかし、現在のフラワーエッセンス業界は
ボトルを売ることを始め、プラクティショナーの養成など
いつの間にか営利目的になってしまいました。


とはいえ、無料で仕事をおこなうこともできないし。

今現在、フラワーエッセンスだけでなく、癒しに携わる仕事をおこなう人たちすべてに
関わることかと思いますが、
この生き方をどのように仕事として統合させていくべきか
魂として望む仕事をおこなおうと思うと、
どうやって生活をなりたたせるかよりも、
どんな仕事をしていくか、そしてその仕事に対しての確信を強くもっていられるか
という根底がないとブレてしまいます。


バックはボトルを売るということは考えてはいなかったでしょう。
自然に沿った本当の生き方をすることが
健康への道と考え、それを伝えていきたかったのだと思います。
自分で自分を癒し、自分のために生きること
そのために自然という大いなる力にゆだねることを伝えていくこと
だとしたら、
バックに続く仕事をする人たちは
なかなかなチャレンジでしょう。


私は数年前からAFET(フラワーエッセンス療法の会)という非営利団体を
仲間とともに立ち上げました。

現在、積極的な活動を以前ほどはおこなっておりませんが、
ツイッターやフェイスブックはどんどんフォロワーやいいねが増えています。


立ち上げたときに私は、個人の活動では決してできないあることを提案しました。

『フラワーレメディーについて知るためのパンフレットを作りたい!!』と。

これまでのパンフレットというのはメーカーの説明を書いたものしかないので、
フラワーエッセンスを知らない人が手にして、知るためのものはありませんでした。


みんなで何度もいろいろな検討をして、時間をかけて作りました。
これを作ったとき、純粋にこれはやりたかったというものでした。

それがコレなんですが⇒ フラワーエッセンスパンフレット
PDFをダウンロードすることもできます。

こうした営利目的ではない活動もおこなうことで、
やりたいことがやれている面もあります。


課題としては個人の活動としてどのようにやっていくのか
というところでしょう。
それはバックの生き方を知れば知るほど、
そこに向かっていくことになるわけですが・・・。


でも、これは決して、無料や安くセッションやコンサルをやりなさいということではなく、
現代の今は、その価値をもっとあげていいと思うし、
バックがおこなったようにやる必要はまったくありません。

実際、バックは貧しかったかというとそんなわけでもないかもしれません。
けっこういろんな意味で豊かだったかも。
黒い犬を飼って、庭仕事を楽しみ、家具も手作りして、
あら、家ももらっちゃったわみたいな(笑)


だから、バックの仕事について知ったところで、こうしなければならない
というものはありません。
やはり、そこは個人の魂が望むことをやればいいのです。

信仰にも似た、バックへの崇拝心があるとどうしても同じように・・という
無意識の力も働いてしまうので、その人そのものになろうとせずに
自分の道をみつけることがやはり必要なのだと思います。



 

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イースターとイースターリリー

  • 2016.03.26 Saturday
  • 17:16


2007年4月5日に書いたブログ記事の再掲です。

イースターリリーそのものはキリスト教の影響でイースターとユリの花が
結びつけられたように感じます。
本来の異教徒の復活祭ではもう少し違う春の花がメインかもしれませんね。
エニシダやミモザかもしれないし、
日本では旧暦の3/3(日本では4月であることが多い)に桃の花と柳の花を飾って
いましたが、再生や太陽を象徴するような花が本来は似つかわしいように思います。


**************************************************************


次の日曜はイースター、復活祭です。
ちょうど今年は日本での花祭りなどと日にちも重なりますね。

そもそもイースターとは何か?

名前は春の女神エオストラ(Eostra)にちなんでつけられて、
その女神の名の語源が東方(East)であるというように太陽の象徴としての意味もあるらしいです。

それをキリストの復活を祝う行事としてクリスマスに次ぐ大きな教会行事となっているわけです。

イースターは毎年日にちが変わります。

春分の日の後の満月の次にくる最初の日曜日です。

日曜日は太陽と結びつけていると思います。

行事としてはいろいろあって、この日を中心に前後17週間にわたって
断食や饗宴がなされたりするものであったようです。
外国ではイースター休暇もありますね。

卵を生命の再生の象徴としてペイントされたものなどよく知られていますね。
エオストラにつかえる動物ウサギがもってくるものと信じられてもいるようです。

また、春に芽吹く植物もこのときに使われます。
タンジーやビストートといった植物です。
タンジーは食べ物として扱われますが、花が卵の黄身のようだからでしょうか。
ビストートはあまり日本ではなじみがありません。
ハーブの一種でピンクの花が咲くようです。
イースターにはプティングにして食べると子宝を授かる薬効があるとか。

さて、イースターの祭壇には必ずイースターリリーが飾られます。

その名の通り、イースターと結びついている花です。
別名はマドンナリリー、日本では鉄砲百合にあたります。

百合というと夏の花というイメージが強いので
あまりピンときませんが、この時期に自生すると書かれてあるので、
どこを基準にしているのかわかりませんが、あたたかい土地のようにも思われます。

聖母マリアと深く結びついた花で、純潔をあらわします。
春は女性的なエネルギーと結びつけられていたと思うのですが、
女神の象徴として白いゆりが選ばれたのではないかと思います。

イースターリリーはFESのフラワーエッセンスにもあります。

意味的にもこうしたキリスト教での禁欲的なイメージが強いようです。
禁欲的なイメージから解き放ち、女性の生殖器のエネルギーを自由に流し、魂の純粋さを取り戻します。

クリスチャンでない場合、あまりイースターは関係ないかもしれませんが、
春の女神の復活ということでイースターリリーのエッセンスをとってみるのもよいかもしれません。



参考文献
ハーブ歳時記 北野佐久子 東京堂出版

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