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パム・グラウトさんの本は図書館でだいぶ前に予約してあったので
まわってくる頃にはそんなに読みたいって気持ちは高くはなかったのですが、
ここの部分を読むためにこの本を借りたのだと思う箇所がありました。
それがマレーシアのセノイ族の話でした。
セノイ族のことを初めて知ったのは河合隼雄さんの
「明恵・夢を生きる」の本の中でした。
セノイ族は夢を大切にしていて、コミュニティで朝、夢の話をすることになっていると。
子供たちの夢を長老が聞き、子供たちがこわい夢をみたら
「それはいい夢だ。続けてみなさい」と励まし、夢の中でこわい存在を味方にし、
克服していくことを助けるというような話だったかと思います。
そのとき、セノイ族がどこの国の人なのかも知らず、
遠い国のひじょーに遠い存在のように感じました。
その後、前にも記事を書いた心理療法とシャーマニズム
という本にも出てきていました。
とても興味を持ちながら、なぜかスルーしていました。
しかし、パムさんの本に書かれていたセノイ族は夢見の話ではなかったところに
興味がいきました。
それで初めて、セノイ族のことをもっと知りたいと思うようになりました。
パムさんが紹介していたロバート・ウルフという人は日本語では
まったく検索にひっかからず、洋書ではありましたが、
邦訳されないものでしょうか。
でもかなり興味あります。この本。
検索をしていて、日本人の方がセノイ族を訪ねてルポされた本があることを知り、
読みたいと思いました。
本はすでに古本でしか手に入らず、文庫版は4倍くらいの価格になっていましたが、
文庫のもとになっている単行本のほうはなんと150円からあったのでそちらを購入。
以外と綺麗な状態で届いたのでよかったです〜。
この著者である大泉さんはノンフィクションライターです。
この本の内容は当時、週間SPAに連載されていたようです。
こういうライターさんの本って田口ランディさんの本もそうだけど、
一般のなにも知らない人でも、ものすごく読みやすいように書かれてあり、
ぐいぐい読めて、夕方から読み始めてその日のうちに読んでしまいました。
あまりに面白いので。
ものすごく驚いたのは取材だから、プロのカメラマンが同行し、
この本には今まで私には架空の民族かと思われるほど遠い存在だったセノイの人たちが
たくさんたくさんカラー写真で載っていたところでした。
場所の地図もあるし。
この本によってセノイの人たちの現実や生活がものすごくよくわかりました。
著者の方は子供の頃から悪夢を見ることが多く、それが普通なのかと
思ったらそうではなく、自分は特別よく悪夢を見ることが多いことがわかり、
夢に興味をもっていきます。
実は彼は子供の頃に「エホバの証人」の教会に通う子供だったそうで、
エホバから抜けてから悪夢がだいぶ減ったとか。
その後ライターとなり、エホバの子供たちを取材すると自分と同じように
悪夢をみるということがわかったと書かれてあり、
宗教が無意識に働きかける作用のこわさを感じました。
FESでのパープルモンキーフラワーを思いおこします。
セノイのこともパトリシア・ガーフィールドやキルトン・スチュアートの本も読み、
SPAで取材に行きたいということを進めていて、現地でのコーディネイトを探していたときにマレーシアの文化人類学者に会うことになります。
そこで衝撃的な事実を知ります。
「セノイは夢のコントロールはしていない」というのです。
この「コントロール」という言葉はけっこうくせものだと思いますが、
著者の方はわりとこだわっていたところかと思います。
スチュアートの論文は1930年代の取材から書かれているそうですが、
今でもそのままそれが真実と思われ、
夢に関する論文で引用されているだろうとは思います。
大泉さんが会った学者さんの話によるとスチュアートが取材したときにも
夢のコントロールはしていないと言い切っていました。
大泉さんはかなりショックを受けたものの、
なんとか現地に行くことができました。
そのときは1991年の話です。
セノイ族ははたして本当に夢文化があるのか否か。
で、次々にセノイの人々と会うわけですが、
東南アジアの開発の波というのはすごいもので、
熱帯雨林のジャングルの中に住む人たちはそんなには多くなく、
先住民族の住む土地はどんどん狭まり、居留地区のようなところで
暮らすこともあります。
取材ではジャングルの中で暮らす知り合ったセノイ人の親戚のところへ
行くわけですが、車を捨てて、そこからジャングルを2時間くらい歩いた場所
ということになってたのに、道がどんどん続いていて車で行けたという。
そのくらい1991年には開発が進んでいたのです。
翌年も取材に出かけていますが、そのときはたった1年で
さらに道ができて、透明だった川の水が真っ赤になっていたという。
現在、それから10年以上たっているのでなんだか恐ろしいです。
で、夢の話ですが、結局どうだったかというと
大泉さんが現地で見た夢をセノイの人たちに聞くと
確かに「それはモヤン(精霊)の夢だ」とか「セワン(祭り)の夢だ」など
夢のサインの話をして、夢に関するいろいろな話がありました。
悪い夢をみたときに夢の中で精霊があらわれ、セワンをやれという場合があると。
そのときにセワンで歌う歌を、夢の中で精霊が教えてくれるから、
夢の中で練習をするんだという話を聞きます。
しかしどのセノイ人に聞いても、「夢をコントロールすることはできない」という返事が返ってきます。
だけど、話を聞くと、それって夢をコントロールしているってことじゃないか??と
大泉さんは混乱していくのです。
このあたりわりとこだわっているようですが、
「夢をコントロールするということ」に対する定義が違うかもしれないと
彼は思うのだけど、
私は「夢」そのものの捉え方が違うのではないかと思いました。
どの夢に対してもその夢をみたら大雨が降るとか、トラとかこわいものが出てきて
追いかけられる夢はその精霊が仲良くなりたがっているんだとか
夢をもうひとつの現実として生きているように見えます。
私たちは夢は自分の中の無意識が反映したものにすぎず、
無意識の夢の中で意識を持つことをコントロールするという風にとらえています。
私はここでひとつ残念に思うのはこの方が夢のほうにこだわっていて、
夢文化をもつ背後のセノイ人の精神性(シャーマニズム)のほうをもう少し追求してほしかったかなという点です。
せっかく取材陣をつれて、現地の人たちとつながってジャングルまできていたのだから。
だからこそ、ロバート・ウルフの話に興味を持ったのです。
夢の中でみた精霊を木彫りしているセノイの人に会った時に
その人はモヤン(精霊)と話しをしているという。
それはイメージか何かか?と聞くと
頭の上の空間を指さし、そこに感じて、尋ねれば答えてくれるということを聞きます。
が、そこでその話はスルーされています。
大泉さんが腰痛をシャーマン(ハラ)に治してほしいと言って、
治療を受ける場面がありますが、その話も、うそのように感じて簡単に終わっていました。
いやいや、このシャーマニズムの部分をもうちょっと知りたいけどねーと
私は読みながら思いました(^^;
やはりこういうのって取材する人間の興味とか受け取り方でだいぶ
その実態の捉え方が変わるだろうなと思います。
キルトン・スチュワートとか西洋の人よりも日本人である彼のほうが
日本人なりの鋭い感覚で感じているところもあるのですが。
夢コントロールという言葉の定義が違うという点だったり、
あるコミュニティが夢を大切にする場合、そのコミュニティにいる人間の夢能力も上がるのではないかとか。
(彼はそこでしばらく滞在するうちに夢が非常に活性化されていくのです)
セノイの人たちの自然との関わり方とかアストラルとの付き合い方など
本当はもっと奥深い世界があるのではないかと思ったりします。
もうひとつ残念な点は1992年に再びマレーシアに行ったときに
若いセノイ族の人たちは夢には興味をしめさず、
近代化の波の中にいること。
夢文化と伝統はこのまま失われていくのかと思うと
せめてこのことを知った人がセノイの人たちの夢へのつながり方を
意識できるようになるとよいなと感じました。
分析せず、イメージそのものを変容させるというやり方。
それは自然とつながっているからこそできるのかもしれません。
現在、この作者の方はブログを見てみるとオタクな文化と宗教、原発の問題あたりの記事が多く、セノイのことはその後水木しげるさんといっしょに行ったかもしれないけど
本は出ていません。
セノイ族について興味のある方はこの本かなり面白かったので
ぜひ、読んでみてください。
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