いま、まだ途中だけど、アドラー心理学のカウンセラーである岸見一郎さんの「不幸の心理 幸福の哲学」という本を読んでいます。

岸見先生の本はどれもいろんなことを考えさせてくれて、いろんな意味で生きることが楽になるというか、勇気づけられるものが多く、この本もそういう刺激があります。


岸見先生はギリシャ哲学も専門にしていらっしゃいますが、哲学への道に入るもっとも影響を受けた高校のときの倫理社会の先生の話が出てきます。

この先生の話は非常に興味を惹かれました。

そういえば倫理社会って私も高校のとき好きでした。プラトンとか。
しかし、受験の科目には入っていなくて数学や英語のように実践的に使えるような学問ではないものですね。それでも哲学は善く生きていくには必要なものではないかなと思います。


話がそれそうですが、岸見先生がお世話になった倫理社会の先生はいまもそんなふうでありたいと思うような存在だそうです。


『先生の講義には無駄な言葉というものが一切なかった。最初、話はその日の講義の主題とはおよそ関係がないかと思われる内容からはじまる。その後、それらの話の間に次々と脈絡をつけ、一気に結論へともっと行くというのが常だった。先生の講義を聞くことは、哲学の思索に参与することであったといえるかもしれない。漠然とした知識の羅列ではなく、本質的なものをこのようにして学ぶことができた。』  60p


それは「講義がそのまま人を楽しませる会話となる」という言葉がそのままあてはまるものだった。

そう。


岸見先生の講義を聞いたことがあるので、わかるような気がします。

しかもその先生は高校生だからといって容赦することなく、原語の意味やギリシア語の発音の仕方、文法など教える必要はなかったかもしれないようなことまで教えてくれたそうです。


そこに高校生だからここまでしか教えないということなく、対等に扱うことが尊敬であることを学んだというのです。


『尊敬するということの意味は、相手をこのような上下関係で見ることなく、対等の横の関係で見ることである。』 63p


尊敬というと下から上にみるように思われるけれど、アドラー心理学の中での相互尊敬という言葉は対等であるという意味になります。

しかし、世の中では上と下の関係が多くみられます。

親と子、先生と生徒、医師と患者・・・みたいな。実際は上下関係のようにふるまっているということになります。


いまやたらと騒がれている体罰の問題も、先生と生徒は常に上下関係というのが根強い日本の問題がクローズアップされているようにも思います。

セラピスト、ヒーラー、プラクティショナーとクライアントという関係もなにやら上下関係のような図になってしまうことも多々あります。場合によってはクライアントをお客様としてみるためにセラピスト側がサービスをおこなうものとしてへりくだることもあります。


意外に対等になろうとすると難しいときもあります。


岸見先生の本によると「尊敬」の英語はrespect 。語源はラテン語の意味で「ふりかえる」

この人は私にとってかけがえのない人であることをふりかえるというのです。


相手を対等とみなし、(ちなみに対等というのは関係性によるけれど、友達になるという意味ではないと思います)、尊敬するのです。

親が子供を家族の話し合いに対等に参加させることで、その親を子供は自ら尊敬するし、相手を下にみるようなことなく、教える教師には生徒もついてくるものだと思います。


この本にも書かれていましたが、自分が何も言わなくても、どうしてあの人は察してくれないのだろうかと憤慨する人がいると、それは自分を上にしようとしている状態だということです。

あまり主張したがらない日本人には多いと思いますが、自分が上か下かにこだわる方は無意識でもよくあります。そもそもそこにこの本のサブタイトルの苦悩が出てくることになるのですが。



尊敬の話に戻りますが、必要以上に知識を伝えるというのは

私の中での解釈ですが、その倫理社会の先生はそこを教えるにはここまで伝える必要があると理解しているからじゃないかと思うのです。その「ここまで伝える必要がある」というところに、その先生が知の好奇心をかきたてる必要不可欠な要素ととらえているのではないでしょうか。


哲学の面白さは知の欲求に従い、深く考えていくことで得られている快感というか、気づきじゃないかと思います。


私がフラワーエッセンスを学んだ教師である王由衣さんの講義を受けたとき、毎回のようにアルケミーの歴史から入るのですが、そのときは「フラワーエッセンスについて学ぶのになんでそっから?」というのがなくもなかったのですけど、もちろんほかのスクールでそんなところから教えてくれる教師は一人もいないと思います。

それは由衣さんがアルケミーの歴史を知らずして、フラワーエッセンスを学ぶことはないという考えから入っているともいえます。

今は私も人に伝えたり、教えたりする側になり、初心者にはここまででいいだろうというまわりの声はあったりもしたのですが、何か納得できないものがあり、相手がまったく理解できず、面白くないというのなら、そう言ってもらえればそれなりのやり方になるけれど、自分がそれを教えるのにこのことも知っておくことが面白いと思えるものなら、やはり伝えるだろうなと思います。
自分も伝えてほしいし。


教えることと尊敬・対等ということを岸見先生の倫理社会の先生の話をつうじて、いろいろ府におちたような気がします。

相手をかけがえのない人と思うからこそ、自分の伝えられるところまで提供することのできる教師がもっと増えれば教育現場も違ってくるかしらね。


ところでその倫理社会の先生の講義に関係なさそうな話からはいるのに、無駄な言葉が一切なかったとか学問に妥協がなかったところなど、5チャクラの人という感じがします。

本来、学問を教える教師は声を使うから、5チャクラって重要な感じがしますね。





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