昨日は日帰りで関西まで出かけ、

作家である田口ランディさんの「クリエティブライティング講座」を受けてきました。

この講座、はじめて知ったときからすごく受けてみたくて

ランディさんの本はほぼ読んでいて、有料メルマガも毎月読んでいるファンとしては

興味津々でした。

 

この講座は文章の書き方を教えるものではなく、

潜在意識とつながっていく、創造性を開いていくというような感じの

内容です。

 

参加者は30人くらい。

関東では毎月1回を3回おこなっていて、

今回、大阪では半日のみでおこなうため、かなり短縮内容かとは

思うけど、ランディさんはたくさん詰め込んでくれて

大切なポイントがたくさんありました。

しかし、

「メモ取らないで、メモ取らないほうが潜在意識に入るから!」

と言われ、メモは取らず・・

でもでも忘れそうなので、ポイントは書き留めておきたい(^-^;

 

私は表現者やクリエイターがいかにその創作をおこなっていくのか

ということにものすごく興味があります。

そういう話を聞くのが大好き。

 

以前、TEDに「食べて、祈って、恋をして」の作者エリザベス・ギルバードが

創造性についてのスピーチをしていて、とても面白かったのですが、

(「創造性をはぐくむには」というスピーチ)

古代ギリシャやローマ時代にはデイモンという精霊によって

創造的なものが作られたとされていた話をし、

その見えない何かをつかまえることによって、作品を産み出すという考えは

私たち自身が何かを創造しているというよりは

私たちの奥にある、あるいは私たちを通して掴んだものによってということになります。

 

右脳を使うというのもそうでもあると思うのですが、

ランディさんの講座の中でいくつかワークというか遊びのようなことをやって

それは脳が作っている(左脳が)か直感であるものかの違いを教えてくれたり、

創作する上でもっとも大切なもの、キモについて学んだりしました。

(キモというからにはあまりここには書かないほうがよいかと思うので

すみません、ナイショです。)

 

ランディさんには初めてお会いしましたが、

わりと想像通りのパワフルな感じの方でした。

 

彼女の書くものはエッセイも小説も面白く、

彼女自身の家族の話や自分のことについて随分オープンに書かれていて

なかなかマネできないけれど

彼女の興味をもつ方向性が、トランスパーソナルな世界だったり、シャーマニズムだったり

社会の闇のような部分だったりして、自分の興味とかなりかぶり、

ハマっていったわけです。

 

ライティング講座というからには最後に文章を書く時間があるわけで、

原稿用紙を渡されて、そのときのお題は

「わたしについて」でした。

 

・・・・・。

だいぶ苦手な題材でした。

ところが、わずか20分の創作タイムに

皆さん、シャカシャカと音をたてて、猛烈に書いているのです。

そんなにほとばしるように急に文章出てこないって・・。

 

いや、もう書けなかったです(-_-;)

 

 

そして、そのあとどうなるかというと

一人ずつ、それを朗読するのです。

30人強いるメンバーで。

そんなにたくさんの人の文章を聞かなくてはならないのは

けっこうヘビーです。

 

しかも、はじめの数人、朗読したところで

その内容が、作家並みにすごくてアンパンマン

やばいところに来てしまっている感半端なかったのですけど

後から

「何も書くことがない、どうしたらいいのか」など

こころの声をそのまま書いてた人がいて、

そういう手があったか!と書き直したい気分にもなりました。

 

しかし、それぞれの文章が「わたしについて」で

こんなことを表現するとは??という驚きの連続で

人によってはとてもこころを動かされるような文章がいくつかありました。

感情がすごく入っていて、共感しました。

まったく知らない人ばかりで、もちろんはじめて会う人たちですが、

背後にあるその人自身の奥まった部分を急に見せられたような感覚です。

 

ランディさんが東京での同じ講座に来ていた人で

職場で自分の居場所がない

という人の書いたものの話をして、

その人の文章を聞いたみんなにとっては、その人は価値ある存在になっているんだ

という話にも感動しました。

(自分の居場所がないというだけでなく、それを表現されたその人に共感されるから)

 

 

創造性そのものはどんな人にもあり、

特別な才能がある人だけではありません。

 

ランディさんの講座で直感について、あいまいな表現をしている人に

「それは左脳が作っている」と言われたのは

直感はハッキリしたもので、見たままのことを表現するものということを聞いて

(マルとバツが見えて、そう言えばいいのに、答案用紙と言った人がいて、

そうじゃなくて、マルとバツなんだというのはわかりやすかった)

植物観察のことを思いました。

 

植物のありのままを観察するのに

「やさしい感じがした」とか「力強く感じた」というのは

実は植物を記号化している(ランディさんが言われた文章の中の記号という意味と同じ。

美味しそうな漬物の「美味しそう」は人から見るとその人にとっての美味しそうがわからないということ。)

ということになります。

 

なんとなく、このあたりが植物観察をしていくことで本質がみえてくる

というのとつながってきました。

見たままを描写するうちに、何かについて発見したり、驚いたりすることが大切。

それは見たままを観察しなければけっして発見できないもの。

やさしい感じがするで終わらせてしまうとわからないもの。

 

文章表現というのは掘り下げていくことなのです。

 

「やさしいおじさんが美味しいお菓子を売っていました。」と書くのは楽だけど、

それはまったく伝わらないし、面白くない。

 

何か参加した講座の感想を書くのに「面白かった」「楽しかった」では

まったく読まれるようなブログにはならないのと同じ (笑)

 

今は、ネット上で表現する人も多く、

とくに私のような仕事のことをブログで書いていく人にとっては

伝えたいことがあり、その伝えたいことを読まれる人に共感してもらえるように

書くにはどうすればいいのかと悩んでいる人もたくさんいると思います。

 

同じような職種の中で個性を出していくには

昨日、同じ題材でありながら、見事にみんなそれぞれの個性が強く出た文章を

聞かされて、左脳的な書き方ではないほうがこころを掴むことができる

ということがわかりました。

 

だから、左脳的な文章である仕事の説明は入るかもしれないけど、

その中で自分が面白く思う点だったり、自分とその仕事の関わりだったり、

関係だったり、自分の経験だったり、記号を使わずに浮かんでくるものを

書き留めていくことなのでしょうね。

 

 

絵を描くような場でもそうですが、

私はそれが出てくるのをジャマしているところがあり、

今回の文章もなかなか出てこなかったくらいで

この出てくるタイミングというのが難しいところがあります。

 

よく作家が真っ暗で狭い部屋で壁に向かって書く方がはかどるという人も

いますが、創造性を使うのは潜在意識とアクセスすることと同じなので、

自分がプレッシャーもなく、リラックスしてなおかつ集中できる状態じゃないと

アクセスできないかなと感じます。

 

私はけっこうこのタイプです。

人がいないほうがいいのです。

 

 

こういういつもの仕事とはなんの関係もない場に出かけていくのは

相当久しぶりでしたが、非常に気づきが多かった一日でした。

 

また関西で開催されるようなら受けたいなー。

 

 

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